One-way door

文章を書くことにした。ボールペンで日記を書くのと同じように、頭に浮かんだことをそのまま言葉に置き換えていく。等身大の言葉で、自分の中にあるものをうまく掬い出す訓練として、小さく始めるつもりだ。

帰省して大阪にいる。両親には仕事のことやパートナーとの関係について聞かれた。父は僕が小さなスタートアップで働いていることを心配しているようだった。会社の中ではどういうポジションなのか、転職は考えていないのか、などなど。聞かれたことには嘘なく答えつつも、背後にある自分の考えは省略した。すべてを伝えることは難しく、またすべてを伝える必要もなかった。

今どこにいて、どこに向かっているのか。明確な答えは出せなくても、言葉にする努力を重ねることで、その輪郭を捉えることはできる。26歳の僕は4年遅れで大学を卒業し、就職活動もしないまま無職になった。あれから5年が経ち、今は東京でソフトウェアエンジニアとして働いている。創業まもないスタートアップに就職し、いつの間にか古株のメンバーになっていた。生活や精神のあらゆる面で不安定だった僕は、とにかく生き延びるために強くなることを求めていた。変化が救いで、停滞は恐怖だった。

年末に上司と飲みに行った。二人とも結婚が近いので、そのことが主な話題だった。彼はよく「子どもを作るとUndoできない」と冗談めかして言う。けれど、Undoできる選択なんて本当にあるのだろうか。そのときはTwo-way doorだと思っていても、実はOne-way doorだったことに振り返ってはじめて気がつく。

人間は究極的には利己的な生き物で、男女もお互いのことをFunctionとして捉えているのだという。そうかもしれない。生成AIが思考の拡張なら、人との出会いは世界の拡張だ。シンプルで機能的な服装を好む僕だったが、クリスマスに彼女からもらったウールのニットは着心地がよく、思いのほか似合っていた。丸の内の百貨店で冗談のつもりでかけてみたスモークブルーレンズの眼鏡を、彼女はとても似合うと言ってくれた。

Kindleの本棚には技術書やビジネス書ばかりが並んでいる。哲学や文学はあまり読まなくなった。理想主義的で行動の伴わない自分に嫌気が差し、プラグマティズムに傾倒した。現実を変える力のない理想には意味がないと考えるようになった。それでも、資本主義ゲームで多くを手に入れることだけが人生ではない。目の前の現実に対処しながら、自分が本当に求めているものを探り、方向を微調整していく。その積み重ねの先に何か特別なものがあると信じている。